※本記事には広告・アフィリエイトリンクが含まれます。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。教科書で覚えた人も多い、鴨長明『方丈記』の冒頭です。でも、この一文のあとに何が書かれているかまで覚えている人は、意外と少ないかもしれません。
この記事では、青空文庫で公開されている鴨長明『方丈記』(底本:『國文大觀 日記草子部』明文社、流布本系の本文)をもとに、冒頭の名言の意味と、作品全体で何が語られているかを5つのポイントで読みます。原文の引用は青空文庫の表記にしたがい、現代語での言い換えは、この記事の読み方です。後半の、名言を暮らしに生かす工夫は、この記事の提案です。
※『方丈記』は本によって表記や本文が異なります。青空文庫の本文は流布本系とされています。教科書などで読んだ表記と違う場合は、それぞれの本の注記を確かめてください。
方丈記の冒頭を原文で読む
青空文庫の冒頭
青空文庫の『方丈記』は、次の一文から始まります。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
この記事での言い換え
川の流れは絶えることがないけれど、流れている水は、もとの水ではない。よどみに浮かぶ泡は、消えたかと思えばまたできて、長くとどまることはない。世の中の人と住まいも、これと同じだ。この記事では、そう読みます。
表記の違い
教科書などでは「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」のような表記で紹介されることも多いでしょう。青空文庫の注記では、この本文は流布本系とされています。本によって表記が違うことを知っておくと、引用するときに迷いません。
冒頭の続きにある「朝顔の露」
あるじとすみかの無常
冒頭の段の後半では、「そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず」と書かれています。住む人と住まいが、先を争うように消えていく様子を、朝顔とその露にたとえています。
露が残るか、花が残るか
続けて、「或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし」と語られます。この記事では、露が落ちて花が残っても、その花は朝日で枯れてしまう。花がしぼんで露が残っても、その露は夕方まではもたない、と読みます。
生まれ死ぬ人への問い
同じ段には、「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る」という一文もあります。人はどこから来てどこへ去るのか分からない、という問いかけで、冒頭の川と泡のたとえが、人の生き死にへとつながっていきます。
| 冒頭の段のたとえ | たとえられているもの |
|---|---|
| 川の流れ | とどまらない世の中 |
| よどみのうたかた | 人とすみか |
| 朝顔と露 | あるじとすみか |
方丈記の5つのポイント
ここでは、青空文庫の本文から、『方丈記』を読むときに押さえておきたい点を5つにまとめます。
1. 川と泡で「とどまらないもの」を描く
冒頭では、絶えず流れる川と、消えては結ぶ泡が描かれます。どちらも、形はあるように見えて、同じものが長くとどまることはない、というたとえです。
2. たとえの先にあるのは「人とすみか」
冒頭の結びは「世の中にある人とすみかと、またかくの如し」です。続く部分でも、都に並ぶ家々について「昔ありし家はまれなり」と書かれ、住む人についても「いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり」と語られます。名言は、自然の美しさだけでなく、人と住まいの移り変わりを語るための入口になっています。
3. 都をおそった出来事を記録する
本文では、「安元三年四月廿八日」の夜の火事、「治承四年卯月廿九日」ごろのつじかぜ、同じ年の六月ごろの都うつり、「養和のころ」の二年にわたる飢渇、「元暦二年のころ」の大地震(おほなゐ)が、順に語られます。
4. たどりついた「方丈」の庵
後半では、作者が五十の春に家を出て世をそむき、六十のころに小さな住まいを結んだことが語られます。その家は「廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり」と書かれています。作品名の「方丈」は、この庵の広さに由来すると読めます。
5. 最後に自分へ問いを向ける
結びに近い部分では、「今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし」と、庵や静けさを愛することさえ執着になるのではないかと、作者は自分に問いかけます。「その時こゝろ更に答ふることなし」と書かれ、答えは示されません。
5つのポイントの早見表
| ポイント | 青空文庫の本文から |
|---|---|
| 冒頭 | 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」 |
| たとえの対象 | 「世の中にある人とすみかと、またかくの如し」 |
| 出来事の記録 | 大火、つじかぜ、都うつり、飢渇、大地震 |
| 方丈の庵 | 「廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり」 |
| 結び | 「その時こゝろ更に答ふることなし」 |
表の引用は、青空文庫『方丈記』の表記にもとづきます。
本文に書かれた5つの出来事
安元三年の大火
「いにし安元三年四月廿八日かとよ」と始まる段では、風の激しい夜に都の東南から出た火が西北へ広がり、朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで焼けたと書かれています。「このたび公卿の家十六燒けたり」とも記されています。
治承四年のつじかぜ
「また治承四年卯月廿九日のころ」には、中の御門京極のあたりから大きなつじかぜが起こり、六條のあたりまで吹いたと書かれています。家の中の宝が空に上がる様子が、「冬の木の葉の風に亂るゝがごとし」とたとえられています。
同じ年の都うつり
「又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき」として、摂津国難波の京への都うつりが語られます。家がこわされて淀川に浮かび、「ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず」という状態になったと書かれ、同じ年の冬には京へ帰ったと記されています。
養和の飢渇
「又養和のころかとよ」の段では、二年の間、世の中が飢渇し、春夏の日照りや秋冬の大風・大水などで五穀がことごとく実らなかったと書かれています。
元暦二年の大地震
「また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき」の段では、山が崩れて川を埋め、海が傾いて陸をひたし、都のほとりでは堂舎や塔が一つとして無事なものはなかったと書かれています。
| 本文の書き出し | 出来事 |
|---|---|
| 安元三年四月廿八日 | 大火 |
| 治承四年卯月廿九日のころ | つじかぜ |
| おなじ年の六月の頃 | 都うつり |
| 養和のころ | 二年の飢渇 |
| 元暦二年のころ | 大地震 |
方丈の庵のくらし
移すことを前提にした家
本文では、方丈の庵は「所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず」と書かれています。つぎめごとに掛け金をかけ、心にかなわないことがあれば、たやすく外へ移せるようにしたとされ、運ぶ荷は「積むところわづかに二輌なり」と記されています。
日野山の奥で
「いま日野山の奧にあとをかくして後」と、庵を日野山の奥に置いたことが書かれています。西に閼伽棚を作り、阿弥陀の画像を安置し、北の障子の上の小さな棚には、和歌や管絃などの書物を入れた皮籠を置いたと語られています。
十六歳の友
庵の近くには小童がいて、「かれは十六歳、われは六十」と、年は大きく違っても、心を慰めることは同じだと書かれています。一緒につばなを抜き、芹を摘み、天気のよい日には峰に登って、ふるさとの空を眺めたと語られます。
住まいの小ささの変化
本文では、三十あまりで結んだ庵は「ありしすまひになずらふるに、十分が一」、六十で結んだ住まいは「中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず」と書かれています。住まいが小さくなっていく様子が、数字で語られています。
もう一つの名言「三界は、たゞ心一つなり」
心が安らかでなければ
庵のくらしを語る段の終わり近くには、「それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし」という一文があります。この記事では、世界は心ひとつで決まる、心が安らかでなければ、宝も立派な建物も望むに値しない、と読みます。
魚と鳥のたとえ
続けて、「魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず」と書かれ、「閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ」と結ばれます。静かな住まいの味わいは、住んでみなければ分からない、という意味に読めます。
名言を暮らしに生かす工夫
ここからは、青空文庫の本文をもとにした、この記事の提案です。
冒頭だけでなく続きも読む
冒頭の名言は、人と住まいの移り変わりを語るための入口です。続く段まで読むと、川と泡のたとえが、より具体的な重みを持って感じられるかもしれません。
引用するときは表記を確かめる
スピーチや文章で引用するときは、どの本の表記を使うかを決め、その本の表記にそろえると安心です。
自分の「すみか」を見直すきっかけにする
方丈の庵は、移すことを前提にした小さな家でした。持ち物や住まいを見直したいときに、本文の庵の描写を読み返してみるのも一つの方法です。
答えの出ない問いをそのままにする
作者は最後に自分へ問いを向け、答えを示しませんでした。すぐに答えの出ない悩みを、無理に結論づけず、そのまま抱えておく読み方もできます。
方丈記のよくある質問
方丈記はいつ書かれた?
青空文庫の本文の結びには、「時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす」と書かれています。
作者の鴨長明はどんな人?
青空文庫の作家データでは、生年1153年、没年1216年とされ、生年に関しては諸説があると注記されています。
「方丈」とは?
本文では、庵の広さが「わづかに方丈」と書かれています。作品名はこの庵の広さに由来すると読めます。
都うつりはどこへ?
青空文庫の本文では、「攝津國難波の京」へうつったと書かれ、同じ年の冬には京へ帰ったと記されています。
作者は何歳で家を出た?
本文では、「五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり」と書かれています。その後、「六十の露消えがたに及びて」、小さな住まいを結んだと語られています。
冒頭の「うたかた」とは?
本文では、よどみに浮かぶ「うたかた」が、消えては結び、長くとどまらないものとして描かれています。この記事では、水に浮かぶ泡と読んでいます。
方丈記の名言は続きまで読むと深まる
『方丈記』の冒頭は、絶えず流れる川と消えては結ぶ泡で、とどまらないものを描き、「世の中にある人とすみかと、またかくの如し」と結ばれます。続く段では、都をおそった大火やつじかぜ、都うつり、飢渇、大地震が語られ、後半では方丈の庵のくらしと、自分への問いが描かれます。名言を引用するときは、ぜひ続きまで読んでみてください。