雨ニモマケズの意味は?1931年11月3日の手帳に記された原文で読む、デクノボーとヒドリの謎、東西南北へ行く人から最後の願いまで

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「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は、宮沢賢治の言葉の中でもとくによく知られた一節です。けれど、最後まで原文で読むと、ただ「がんばろう」という詩ではないことに気づきます。

この記事では、手帳に記された原文に沿って、前半の言葉、東西南北の場面、ヒドリとデクノボーの読み方、暗唱や花巻めぐりのヒントまでを順にたどります。2026年10月時点の情報です。

目次

雨ニモマケズはどんな作品?

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まずは、この言葉がどこに、いつ記されたものなのかを押さえておきましょう。成り立ちを知ると、一行ずつの重みが変わって見えてきます。

没後に見つかった手帳のメモ

「雨ニモマケズ」は、詩集に載せるために清書された作品ではありません。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにある「雨ニモマケズ」の読み方をめぐる事例は、この作品を、賢治の没後に発見された手帳に記されていたメモだと説明しています。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」で始まり、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」で終わる、漢字とカタカナで記された詩です。

記された日付も分かっています。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにある原文と墓地の写真をたずねる事例によると、賢治が昭和6年(1931)に使っていた手帳、いわゆる「雨ニモマケズ手帳」の51ページから59ページにわたって、「11.3」の日付のもとに全文が記されているそうです。

書いたときの賢治の様子については、花巻観光協会の手帳の実物公開を知らせるページが伝えています。「雨ニモマケズ」が記された実物は、賢治が亡くなる約2年前の1931年11月、病床で手帳に鉛筆書きされたものです。手帳は、賢治の遺族が関わる林風舎が大切に保管してきました。

賢治は1896年に生まれ、1933年に亡くなっています。つまりこの詩は、30代半ばで病に伏せていた賢治が、自分のために書き留めた言葉だったわけです。誰かに見せる前提の作品ではなかったからこそ、飾らない願いがそのまま残っているともいえるでしょう。

本文は、インターネットの図書館である青空文庫の〔雨ニモマケズ〕で全文が公開されています。底本は『【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇』(筑摩書房、1997年)で、本文は写真版を含むこの本に拠っています。題名に〔 〕がついているのは、賢治自身が付けたタイトルではなく、書き出しの言葉を仮の題にしているためです。

カタカナと漢字だけの文でも、声に出してゆっくり読むと、短い句が積み重なるリズムが心地よく伝わってくるはずです。この記事でも、引用は青空文庫の表記に合わせています。

手帳の筆跡そのものを見たい人には、写真を収めた本がおすすめです。国立国会図書館の事例では、『新潮日本文学アルバム 12 宮沢賢治』(新潮社、1984年)の56〜57ページと、『宮沢賢治の世界 写真集』の209ページに、手帳の写真と詩の原文すべてが載っていると紹介されています。

2026年秋の原本公開

手帳の原本は、ふだんは見ることができません。2026年は賢治の生誕130年にあたり、原本が特別に公開されました。

花巻市の企画展「生誕130年 宮沢賢治展」のお知らせによると、会場は花巻市東和町の萬鉄五郎記念美術館で、会期は2026年9月19日から12月6日までです。直筆の「雨ニモマケズ手帳」の原本公開は10月10日から10月25日までで、期間外は資料保護のため複製の展示になります。

展覧会のねらいは、賢治の美術的な面に光をあてることです。お知らせでは、賢治が自分の詩を「心象スケッチ」と呼んだこと、手帳やノートに美術家さながらのスケッチが残されていることも紹介されています。開館時間は9時から17時まで(入館は16時30分まで)で、入館料は一般700円、休館日は月曜日です。主催は萬鉄五郎記念美術館と宮沢賢治記念館、企画協力は林風舎とされています。

原本公開を楽しみにしていた人は少なくありません。2026年10月18日19時45分にXへ投稿した人は、次のように書いています。

賢治生誕130周年だし雨ニモマケズ手帳の原本公開日が10/10〜10/25だから今しかないのです、しゃーなし。

2026年10月時点で、今回の原本公開の期間は終わっています。ただし企画展そのものは12月6日まで続き、手帳は複製で展示されます。賢治が描いた水彩画の原本も、時期を分けて公開される予定です。お知らせによると、「無題(ミミズクの絵)」などは10月24日から11月8日まで、「無題(赤玉)」などは11月7日から23日まで、代表作の「日輪と山」は11月21日から12月6日までが原本の公開期間です。賢治が生前に出した本は『春と修羅』と『注文の多い料理店』の2冊だけで、その装幀や挿絵を手がけた県内の若い美術家たちも展覧会で取り上げられています。

過去にも、手帳の原本が公開されたことがあります。花巻観光協会のページによると、2022年には宮沢賢治記念館の開館40周年にあわせて、9月16日から25日までの10日間、手帳が限定公開されました。傷みが進まないよう、公開の期間は短く区切られています。次の機会を待つあいだは、複製や写真で筆跡をたどるのもよいでしょう。

前半の言葉はどんな意味?

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前半には、賢治が「こうありたい」と願った体と心、暮らしぶりが並びます。一行ずつ区切って、言葉の意味を味わっていきましょう。

丈夫なからだと静かな心

詩の始まりは、だれもが知るこの部分です。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ

雨や風、雪、夏の暑さは、外からやってくる厳しさのたとえです。農業に深く関わった賢治にとって、天気は暮らしを左右するものでした。ここで願われているのは、そうした厳しさに倒れない「丈夫ナカラダ」です。病床にいた賢治が書いたと知ると、この一行には、健康へのまっすぐな憧れがにじんで見えます。

言葉の形にも注目してみましょう。「マケズ」は「負けずに」という意味で、次の言葉へ続いていく形です。一方、「マケヌ」は「負けない」という意味で、後ろの「カラダ」を説明しています。雨にも風にも負けずに、雪にも暑さにも負けない体を持つ、という流れです。

続いて、心のあり方が語られます。

慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル

「慾ハナク」は、欲を持たないことを指します。「瞋ラズ」の「瞋」は、怒りを表す字です。「決シテ」という強い言葉がついていることから、怒らないことへの強い決意が感じられます。そして、いつも静かに笑っているのです。大声で笑うのではなく、穏やかにほほえんでいる姿が浮かびます。

ここで大切なのは、これが「怒らない人はえらい」という説教ではないことです。詩の最後は「ワタシハナリタイ」で終わります。つまり、前半に並ぶ姿は、賢治が自分自身に向けた目標です。人に求めるのではなく、自分がそうなりたいと願っている点に、この詩のやさしさがあります。

暮らしぶりについても、具体的な言葉が続きます。

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

ぜいたくをせず、玄米と味噌と少しの野菜で暮らすという内容です。量の多い少ないよりも、飾らない素朴な食事を思い描いていることが伝わります。体を支える食事は大事にしながら、それ以上は求めません。欲を持たないという前の行と、ちゃんとつながっています。

人間関係の中でも、この前半はヒントになります。腹が立ったときに「決シテ瞋ラズ」を思い出すと、すぐに言い返すのではなく、ひと呼吸おけるかもしれません。ただし、怒りを無理に押し込める必要はありません。賢治自身も「なりたい」と書いているように、すぐにはなれないからこそ願う姿なのです。

自分を勘定に入れない見方

前半でとくに味わいたいのが、次の一節です。

アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」は、自分の損得や都合を計算に入れずに、という意味になります。物事を見るとき、人はつい「自分にとって得か損か」で判断しがちです。賢治は、その計算をいったん脇に置いて、よく見て、よく聞いて、よく分かろうとする姿を描きました。

順番にも注目してみましょう。「ミキキシ」(見聞きし)、「ワカリ」(分かり)、「ワスレズ」(忘れず)の順です。まず見て聞くことがあり、次に理解があり、最後に忘れないことが来ます。分かったつもりで終わらず、心にとどめておくのです。相手のことを大切にするとは、こういう積み重ねなのかもしれません。

賢治自身も、人の話を聞き、学んだことを人に伝える暮らしを送りました。花巻観光協会のページによると、賢治は羅須地人協会で、農民に化学や土壌などの講義をしています。農家の悩みをよく聞き、分かったことを生かして手を貸したわけです。詩に描かれた「ヨクミキキシワカリ」は、賢治が実際に目指した姿でもあったのでしょう。

住まいについては、次のように書かれます。

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

かやぶきの小さな小屋に住む、という素朴な暮らしです。「ヰテ」は「いて」の古い書き方です。大きな家や立派な肩書きではなく、小さな場所に身を置き、そこから周りの人のもとへ出かけていく姿が、後半の東西南北の場面につながっています。

人間関係の場面に置きかえると、「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」は、相手の話を聞くときの心がまえにも通じるものです。相談を受けたとき、自分の意見を言いたくなる気持ちをおさえて、まずは最後まで聞きます。そのうえで、相手が何を望んでいるのかを分かろうとするのです。相談されたときの聞き方を紹介した記事でも、助言の前に相手の希望を聞くことの大切さをまとめています。

もちろん、いつも自分を後回しにする必要はありません。自分を勘定に入れないというのは、自分を粗末にすることとは違います。物事を見るときに、自分の都合で曇らせないようにするという意味でとらえると、無理なく日々に生かせるでしょう。

東西南北の場面は何を表す?

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詩の中ほどには、東西南北の四つの方角が出てきます。それぞれの場面で、賢治が描いた人は何をしているのでしょうか。

行ッテ看病シテヤリ

四つの方角の場面を、原文で並べてみます。

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

東に病気の子どもがいれば、行って看病します。西に疲れた母がいれば、行ってその稲の束を背負うのです。青空文庫の本文では、「朿」の字に「ママ」という注がついています。手帳に記された字形をそのまま写したという意味で、「束」のことだと考えられます。

この場面でくり返されているのが「行ッテ」という言葉です。困っている人のところへ、待つのではなく自分から足を運ぶのです。

この「行ッテ」について、印象深い言葉を残している人がいます。国立国会図書館のレファレンス協同データベースの事例では、ミキハウスの絵本『雨ニモマケズ』の巻末にある文章が紹介されています。その題は「『行ッテ』という言葉こそが大事なんだよ、と賢治の弟である祖父が私に教えてくれました」というもので、文を寄せたのは宮沢和樹さんです。賢治の家族のあいだで、この言葉が大切に受け継がれてきたことが分かります。花巻観光協会のページによると、宮沢和樹さんは手帳を保管してきた林風舎の社長で、2022年の手帳公開の際には記念講演の講師も務めました。

看病も、稲の束を背負うことも、特別な才能がいる仕事ではありません。体を動かして、目の前の人の重荷を少し分け持つことです。賢治が描いたのは、大きな偉業ではなく、身近な人のそばに行って手を貸す姿でした。

人間関係に置きかえると、「行ッテ」はとても実践的な言葉です。困っている人に「何かあったら言ってね」と声をかけるだけでなく、こちらから様子を見に行くことです。忙しそうな同僚の作業を少し手伝うのもよいでしょう。そうした小さな行動が、言葉以上に気持ちを伝えることがあります。

ただし、相手が望んでいないのに手を出すのは、かえって負担になることもあります。看病も稲の束を背負うことも、相手が困っているときの話です。相手の様子をよく見て、必要なときにそっと手を貸しましょう。前半の「ヨクミキキシワカリ」があってこその「行ッテ」だと読むと、詩の流れがよりはっきりします。よく見て、よく聞いて、それから足を運ぶという順番を覚えておくと、手助けが押しつけにならずにすみます。

ツマラナイカラヤメロの一言

南と北の場面は、看病や手伝いとは少し違います。

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

南に死にそうな人がいれば、行って「怖がらなくてもいい」と言います。北にけんかや訴訟があれば、「つまらないからやめろ」と声をかけるのです。ここでは、体を動かす手助けではなく、言葉をかけることが描かれています。「トイヒ」は「と言い」の古い書き方で、「ケンクヮ」は「けんか」を昔の仮名づかいで書いたものです。訴訟は、裁判で争うことを指します。

「コハガラナクテモイヽ」は、死を前にした人の不安に寄り添う言葉です。何かを解決するわけではありません。それでも、そばに行って声をかけることで、相手の心が少しでも軽くなることを願っています。病床でこの詩を書いた賢治にとって、死の不安は遠いものではなかったはずです。

「ツマラナイカラヤメロ」は、短くてさっぱりした言い方です。「どちらが正しいか」を裁くのではなく、争いそのものをつまらないものとして止めようとしているのでしょう。勝ち負けにこだわるより、争いを終わらせるほうが大事だという考えが、この一言に込められています。けんかの当事者は、言い争ううちに引くに引けなくなることがあります。そんなとき、外から「つまらない」と言ってくれる人がいると、肩の力が抜けて争いをやめるきっかけになるのかもしれません。

この二つの場面のあと、詩は次のように続きます。

ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ

天候の不順に苦しむ時には涙を流し、寒い夏にはおろおろと歩きます。ここで描かれる人は、決して万能ではありません。困りごとを全部解決できるわけでもなく、ただ涙を流し、おろおろ歩くしかないこともあります。

それでも、その人は人々の苦しみから目をそらしません。一緒に涙を流し、一緒にうろたえるのです。完璧なヒーローではなく、弱さを抱えたまま人のそばにいる姿こそ、賢治が描きたかったものなのでしょう。人間関係でも、うまい言葉が見つからないとき、ただそばにいることが支えになる場面もあるでしょう。ちなみに、この「ヒドリ」という言葉には、読み方をめぐる議論があります。次の章で見ていきます。

ヒドリとデクノボーはどう読む?

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詩の後半には、読み方や意味をめぐって話題になる言葉が二つ出てきます。「ヒドリ」と「デクノボー」です。

ヒドリかヒデリか

手帳の原文では、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」となっています。一方で、教科書や本では「ヒデリノトキハ」と表記されていることが多く、どちらが正しいのか気になる人もいるでしょう。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、まさにこの疑問をたずねた事例があります。孫は「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」と暗唱していたのに、自分は「ヒドリノトキハ」と習い、ヒドリは日雇いの意味だと教わったという質問です。

回答によると、手帳の文字は「ヒドリ」となっていますが、これが「ヒデリ」の誤記なのかという論争は今も続いているようです。主な説は三つあります。一つ目は「ヒデリ」(日照り)の誤記とする説、二つ目は「ヒドリ」のままでよく、日雇い仕事のことだとする説、三つ目は「ヒドリ」が日照りの方言で誤記ではないとする説です。はっきりした結論は出ていないものの、誤記とする説が多いとまとめられています。

事例では、さまざまな本の扱いも紹介されていて参考になるでしょう。『校本宮澤賢治全集』第12巻上には「五七頁の『ヒドリ』は『ヒデリ』の誤記か」という補説があり、ちくま文庫の全集の備考にも誤記であろうという記載があります。堀尾青史は、しつこいほど書き直しをした賢治が「ヒドリ」を訂正せずに残していることから、メモとして書き流したのだろうと述べています。

一方で、書家の石川九楊は、訂正されずに残されている以上、「ヒドリ」として「ヒデリ?」と註記するほうがよいのではないかと述べています。宮沢和樹さんの文がある絵本は「ヒデリ」と記したかったのではないかという説を採用し、ほかにも「日取り」で日雇いを表すという説や、「一人」の誤記とする説を紹介した本もあるそうです。

青空文庫の本文は、手帳のとおり「ヒドリ」と表記しています。どちらで覚えたかは、習った教科書や本によって違うということです。自分が読んでいる本がどちらを採っているかを見ておくと、人と暗唱がずれたときにも落ち着いて話せます。次の行の「サムサノナツ」と並べて読むと、天候に苦しむ農民の姿として「日照り」と読む説の自然さも感じられるでしょう。どの説をとるにしても、農民の苦しみに寄り添う気持ちが込められている点は変わりません。

デクノボートヨバレ

詩の結びは、次のように続きます。

ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ

「デクノボー」は、役に立たない人をからかう言葉です。普通なら、そう呼ばれたい人はいません。ところが賢治は、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされない者になりたいと書きました。「クニモサレズ」は「苦にもされず」と読みます。

「ホメラレモセズ」は、人から評価されることを求めない姿勢です。看病をしても、稲の束を背負っても、それで称賛されたいわけではありません。「クニモサレズ」は、人の重荷や悩みの種にもならないということでしょう。目立たず、ほめられず、迷惑もかけず、ただ人のために動くのです。そんな静かな生き方が、最後の願いとして置かれています。

人間関係の中では、ついほめられたい、認められたいと思うものです。ただ、評価ばかりを気にしていると、本当に相手のためになることが見えにくくなります。デクノボーと呼ばれてもかまわないという結びは、人の目から少し自由になるためのヒントとしても受け取れるでしょう。

この結びを読むと、前半からの流れがひとつにつながります。丈夫な体と静かな心を持ち、自分を勘定に入れずに見聞きし、困っている人のところへ行きます。けれど、それで偉くなりたいわけではなく、デクノボーと呼ばれてもかまわないのです。賢治の願いは、名声とは正反対の場所にありました。

手帳では、詩のあとに「南無無辺行菩薩」「南無上行菩薩」「南無多宝如来」「南無妙法蓮華経」などの文字が続いています。青空文庫の本文にも、この部分が収められているのです。賢治が法華経を深く信仰していたことを思うと、この詩は願いであると同時に、祈りに近いものだったと受け取れます。

この詩が手帳のメモだったことを思うと、こんな感想も生まれるでしょう。2026年7月2日10時13分にXへ投稿した人は、次のように書いています。

私が宮沢賢治だったら、そんな手帳から「雨にも負けず―」ピックアップされたら恥ずかしくて仕方ないなぁ…と思ふ

人に見せるつもりのなかった言葉だからこそ、飾らない本音が詰まっているのでしょう。そう考えると、デクノボーになりたいという願いも、いっそう素直に響いてきます。

雨ニモマケズをどう味わう?

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意味が分かったら、声に出して覚えたり、ゆかりの地を訪ねたりして、さらに深く味わってみましょう。暗唱のコツと、花巻で立ち寄りたい場所を紹介します。

暗唱するときのコツ

「雨ニモマケズ」は、子どものころに暗唱した人の多い詩です。2026年2月3日22時37分にXへ投稿した人は、次のように振り返っています。

ちなみに幼稚園(仏教系)では宮沢賢治の雨にも負けずを全文暗記させられた。しかも頭柔らかい時だったので今でも暗唱出来る。

大人になってから覚え直すなら、内容ごとにまとまりに分けるのがおすすめです。この記事の流れに沿うと、次のように五つに分けられます。

一つ目は、雨・風・雪・暑さに負けない体のまとまりです。二つ目は、欲がなく怒らず静かに笑う心のまとまりです。三つ目は、玄米と味噌の食事から、自分を勘定に入れず見聞きし、小さな小屋に住むまでの暮らしのまとまりとなります。四つ目は、東西南北の場面と、涙を流しおろおろ歩くまとまりです。五つ目が、デクノボーと呼ばれる者になりたいという結びになります。

それぞれのまとまりの頭の言葉を覚えておくと、途中で詰まっても続きを思い出しやすいはずです。特に東西南北の場面は、「東は病気の子ども、西は疲れた母、南は死にそうな人、北はけんかや訴訟」と方角と人を結びつけて覚えると、順番を間違えにくくなります。東・西・南・北の順は、時計回りではない点にも気をつけましょう。

原文のカタカナ表記にも慣れておきましょう。「ヰテ」は「いて」、「サウイフ」は「そういう」、「コハガラナクテモイヽ」の「ヽ」はくり返しの記号で「いい」と読みます。古い仮名づかいを知っておくと、原文のまま声に出しても迷いません。

「ヒドリ」か「ヒデリ」かは、前の章で見たとおり、本によって違います。暗唱するときは、自分が読んでいる本の表記に合わせれば大丈夫です。心に残った一節を書きとめておく方法は、名言ノートの作り方を紹介した記事でまとめています。出典と自分の感想を分けて書いておくと、読み返したときに新しい気づきが生まれます。

暗唱できるようになったら、ときどき一行だけを取り出して考えてみるのもおすすめです。たとえば「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」だけを一日の目標にしてみましょう。全体を覚えるのとは別の味わい方が見えてきます。夜にその日を振り返り、できたかどうかを考えるだけでも、言葉が少しずつ自分のものになっていくはずです。

花巻で詩碑と手帳をたずねる

賢治のふるさと、岩手県花巻市には、この詩にゆかりのある場所があります。代表的なのが、花巻市桜町4丁目の雨ニモマケズ詩碑です。

花巻観光協会の雨ニモマケズ詩碑のページによると、詩碑は、賢治が農民に化学や土壌などの講義をした羅須地人協会の跡地に建っています。碑の文字は、高村光太郎の書によるものです。石碑の前からは、賢治が自ら耕した「下ノ畑」を一望できます。JR花巻駅からバスで約10分、「賢治詩碑入口」バス停から歩いて約10分で、新花巻駅からは車で17分ほどです。

毎年9月21日には、この詩碑の前で賢治をしのぶ催しがあります。花巻観光協会の賢治祭のページによると、賢治の命日にあたるこの日、詩碑前での献花や、詩の朗読、賢治作品の歌の合唱、劇などが行われます。2026年は9月21日に、献花が13時から詩碑前で、催しは花巻市立南城小学校を会場に開かれました。

賢治の墓所もあります。国立国会図書館の事例によると、宮沢賢治の墓地は花巻市石神町の身照寺にあります。宮沢賢治記念館は花巻市矢沢1-1-36にあり、2022年の手帳の原本公開もここで行われました。萬鉄五郎記念美術館は花巻市東和町土沢5区135にあり、詩碑や記念館とは場所が離れているため、回る順番と移動の手段を先に決めておくと安心です。秋は日が短いので、早めの時間から動き始めましょう。

詩碑の周りには、同心屋敷の向かいに10台前後の共通の駐車場があります。問い合わせ先は花巻市の賢治まちづくり課です。賢治祭の連絡先は、宮沢賢治記念会の事務局とされています。

記念品を手に取るのも、一つの楽しみ方です。2026年1月1日17時58分にXへ投稿した人は、次のように書いています。

岩手の林風舎謹製、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』手帳レプリカ、常軌を逸した品物だった。愛が無ければこんなもの作れない。

花巻市の令和8年度の市内賢治イベント情報には、11月1日から3日まで、生誕130年を記念した第5回国際研究大会が開かれることも載っています。11月3日は、手帳に「11.3」と記された日付と同じ日です。古典の言葉を原文で味わう楽しさは、方丈記の冒頭を紹介した記事でもたどっています。

まとめ

雨ニモマケズを収めた宮沢賢治の詩集を楽天市場で探す

「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治が1931年11月、病床で手帳に鉛筆書きしたメモで、没後に見つかりました。前半では丈夫な体と静かな心、自分を勘定に入れずに見聞きする姿が描かれます。

東西南北の場面では、困っている人のところへ「行ッテ」手を貸し、言葉をかける姿が並ぶのが特徴です。「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記とする説が多いものの、今も議論が続いています。

結びでは、デクノボーと呼ばれ、ほめられもしない者になりたいという願いが語られます。原文をまとまりごとに声に出して読むと、自分の暮らしに重ねられる言葉が見つかるはずです。

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この記事を書いた人

demoday編集室のアバター demoday編集室 DreamBeliever

人間関係や日々の気持ちを見つめ直すための言葉と考え方を取り上げる編集室です。言葉を引用するときは、出典を確かめて紹介します。

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