「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の意味は?山月記で李徴が語る2つの心を原文で読み、珠と瓦のたとえや猛獣使の言葉から虎になった理由へ

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉を、国語の授業で習った覚えがある方も多いのではないでしょうか。中島敦の短編小説『山月記』で、虎になってしまった李徴が語る言葉です。一度聞くと忘れにくい言い回しですが、「臆病なのに自尊心」「尊大なのに羞恥心」と、どこか不思議な組み合わせにも感じられます。

X(旧Twitter)では、ほかの説明をつけずに「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」とだけつぶやく投稿がありました(Xの投稿)。

この記事では、この言葉がどんな意味なのか、どんな場面で語られるのか、続く「珠と瓦」や「猛獣使」のたとえまで順にたどっていきます。

本文の引用は、青空文庫の『山月記』(底本は新潮文庫『李陵・山月記』)によっています。教科書や文庫によって、仮名遣いや表記が少し違う場合もあるので、手元の本とあわせて読んでみてください。

目次

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」はどんな意味?

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まずは、この言葉がどんな心の動きを表しているのかを整理してみましょう。2つの言葉はセットで語られますが、それぞれに少しずつ違う向きの気持ちが込められています。

臆病な自尊心は試されるのが怖い心

「自尊心」は、『デジタル大辞泉』では「自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度」と説明されています。いわゆる「プライド」に近い言葉です。

ふつう自尊心というと、胸を張っているような自信のある態度を思い浮かべるでしょう。ところが李徴は、自分の自尊心を「臆病な自尊心」と呼びました。本文では、次のように語られています。

「勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。」

李徴は、詩人として名を残したいという強い望みを持っていました。それなのに、先生について学んだり、詩の仲間と競い合ったりすることは避けていたのです。

なぜ避けたのかは、すぐあとの文に書かれています。「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず」。自分が本当は「珠」(宝石)ではない、つまり思っているほどの才能がないとわかってしまうのが怖かったから、あえて苦労して磨こうとしなかった、という意味です。

つまり「臆病な自尊心」とは、自分には才能があると思いたい気持ちが強いあまり、その才能を人前で試されて、もし足りないとわかったら傷つくことを恐れる心だと読めます。プライドがあるからこそ挑戦できない、という逆向きの動きが、「臆病な」という言葉に込められているのでしょう。

このあと李徴は、人と遠ざかるうちに「益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった」とも語っています。試されることを避ければ避けるほど、その心はかえって大きくなっていった、というふり返りです。

物語の冒頭にも、この自尊心がどれほど傷つきやすいものだったかがわかる場面があります。生活のために再び地方の役人になった李徴は、かつての同輩がすでにずっと高い地位に進んでいることを知りました。本文には、「彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない」と書かれています。見下していた相手の下で働くことに耐えられず、李徴は「怏々として楽しまず」、やがて発狂へと向かっていきました。人と比べられる場面に弱い自尊心だったことが、ここからも読み取れるでしょう。

尊大な羞恥心は恥を隠す高ぶり

「羞恥心」は、『デジタル大辞泉』では「恥ずかしく感じる気持ち」とされています。恥ずかしいと感じる気持ちは、ふつうは控えめな態度につながるものです。

ところが李徴の場合、その羞恥心は「尊大な」かたちで外にあらわれていました。本文の告白は、こう始まります。

「人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。」

「倨傲(きょごう)」は、『デジタル大辞泉』によると「おごり高ぶること。また、そのさま。傲慢」という意味です。まわりの人から見ると、李徴は人を見下して付き合いを避ける、偉そうな人に見えていました。けれども李徴自身は、その態度の正体は「羞恥心に近いもの」だったと打ち明けています。

何を恥ずかしいと感じていたのかは、続く文から読み取れます。「己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」。自分は珠であるはずだと半分は信じていたので、平凡な人たち(瓦)の中にまじって暮らすことも、恥ずかしくてできなかったのです。

作品の冒頭でも、李徴は「性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」と紹介されています。「狷介(けんかい)」は、『デジタル大辞泉』では「頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと」とされる言葉です。身分の低い役人でいることに満足できなかった李徴の姿が、ここにもあらわれています。

こうして見ると「尊大な羞恥心」とは、自分の弱さや、ふつうの人と同じであることを恥ずかしいと感じる気持ちが、外からは高ぶった態度に見えてしまう心だといえそうです。恥ずかしさを隠すための高ぶり、と言いかえることもできるでしょう。

虎になってからも、李徴の羞恥心は消えていません。袁傪に「何故叢から出て来ないのか」と問われた李徴は、「自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿をさらせようか」と答えています。また、李徴は友人の少ない人物で、袁傪が最も親しい友だったのは、「温和な袁の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう」と書かれていました。人とぶつかりやすい性格でありながら、恥ずかしい姿を見られたくないという気持ちは強く持っている。その両方が、李徴という人物の中に同居していたのです。

言葉の組み合わせがねじれている

この言葉が印象に残る理由のひとつは、組み合わせの「ねじれ」にあります。ふつうに考えれば、「臆病」は「羞恥心」と、「尊大」は「自尊心」と結びつくほうが自然でしょう。「臆病な羞恥心」「尊大な自尊心」なら、意味はすぐにわかります。

ところが中島敦は、あえて「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と、反対の言葉どうしを組み合わせました。高いプライドが臆病さを生み、恥ずかしさが尊大な態度を生むという、ひとりの人の中で向きが入れ替わった心の動きが、このねじれた言い方で表されているのです。

本文では、2つの心が同じ一文の中で並べられています。「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」

ここで大事なのは、「共に」という言葉でしょう。師に就かなかったことも、俗物と交わらなかったことも、どちらも2つの心のせいだと李徴は語っているのです。2つの心は別々のものではなく、表と裏のように重なり合って、李徴をどちらの道にも進ませなかったと読めます。

解説サイトや国語の参考書の中には、この2つを表にして整理しているものもあります。たとえば、「珠に非ざることを惧れる」から「刻苦して磨こうともせず」が臆病な自尊心に、「珠なるべきを半ば信ずる」から「瓦に伍することも出来なかった」が尊大な羞恥心に対応する、という整理です。本文の対句の形に沿った、わかりやすい読み方だといえるでしょう。

琉球大学の紀要に載った論文でも、この部分は「矛盾に満ちた言動」として取り上げられ、矛盾した表現で語られているからこそ、単純な敗北の意識に終わっていないと論じられていました。ねじれた言い方そのものが、李徴の心の複雑さを伝えているわけです。

福岡大学の研究者が公開している『山月記』についての論考(PDF)でも、この部分が取り上げられています。そこでは、「臆病な羞恥心」と「尊大な自尊心」ではなく、組み合わせがねじれているところに問題がある、という見方が紹介されていました。多くの解説や研究が、このねじれを読み解きの入口にしていることがわかります。授業でこの言葉を習ったときに「なんだか不思議な言い方だ」と感じた人は、その違和感こそが作品の大事な手がかりだった、ということになるでしょう。

原文ではどんな場面で語られる?

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、物語の後半、虎になった李徴が旧友の袁傪(えんさん)に自分の過去を語る場面で出てきます。ここでは、この言葉にたどり着くまでの流れを本文で追ってみましょう。

詩を託したあとの告白

物語は、若くして科挙に合格した秀才の李徴が、役人の仕事に満足できずに官を退き、詩人として名を成そうとするところから始まります。しかし詩の名声はなかなか上がらず、生活は苦しくなり、妻子のために再び地方の役人になりました。かつて相手にもしなかった同輩の下で命令を受けることが、「往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない」と書かれています。その後、旅先で発狂した李徴は、闇の中へ駆け出して戻りませんでした。

翌年、監察御史となった袁傪が旅の途中で人喰い虎に出会います。虎は袁傪に飛びかかろうとして身をひるがえし、草むらから人間の声で「あぶないところだった」とくり返しました。その声が、行方知れずになっていた李徴だったのです。

草むらの中の李徴は、まず自分が虎になったいきさつを語り、続けて、かつて作った詩を書き留めてほしいと頼みます。袁傪は部下に命じて、およそ三十篇の詩を書き取らせました。

ここで袁傪は、詩に感心しながらも、ひそかにこう感じています。「成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」。この「欠けるところ」が何なのかは、本文でははっきり書かれていません。

詩を吐き終えた李徴は、自分を嘲るように即席の詩を詠み、そのあとで「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない」と話し始めます。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、この告白の中で語られる言葉なのです。

物語の前半で、李徴は虎になった理由について「全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」と言っていました。その李徴が、詩を託したあとで自分の内側に理由を探し始めるという流れは、作品の大きな転換点だといえるでしょう。袁傪が感じた「欠けるところ」と、李徴の告白を重ねて読む読み方もできそうです。

李徴が詩を託した理由も、本文で語られています。「何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ」。上手か下手かは問わない、と言いながらも、生涯をかけて執着したものを残したいという強い思いがにじんでいます。この執着の強さが、続く告白で語られる「自尊心」と深くつながっていることは、読み進めるとわかってくるでしょう。

師にも就かず俗物とも交わらない

告白の中で、李徴は人間だったころの自分の行動を具体的に語っています。大きく分けると、次の2つでした。

  1. 詩で名を成そうと思いながら、師に就いて学んだり、詩友と切磋琢磨したりしなかった
  2. かといって、俗物の間にまじって暮らすことも、いさぎよしとしなかった

「切磋琢磨(せっさたくま)」は、『デジタル大辞泉』によると『詩経』から出た言葉で、「学問をし、徳を修めるために、努力に努力を重ねること。また、友人どうしで励まし合い競い合って向上すること」という意味です。「琢磨」は、玉や石などを打ち磨くことを指すそうです。このあと出てくる「珠」を磨くたとえとも、うまくつながっています。

1つめの行動は、自分の才能を人と比べられる場所に出ていかなかった、ということです。2つめの行動は、平凡な人として生きる道も選ばなかった、ということになります。前に進んで腕を磨くこともせず、かといって詩をあきらめてふつうに暮らすこともできない。その中途半端な場所に、李徴は立ち止まっていたのです。

李徴はこの2つを「共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」とまとめました。どちらか一方の心だけでなく、2つの心がそろっていたからこそ、どちらの道も選べなかったと読めます。

その結果について、李徴は「己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった」と続けています。「憤悶」はいきどおりもだえること、「慙恚(ざんい)」は恥じて怒ることを表す言葉です。人から離れるほど、その心がさらに大きくなっていったという流れは、読んでいて胸が痛くなるところでしょう。

人と交わらなかったことについては、物語の冒頭でも「人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った」と書かれていました。告白は、その行動の裏にあった心を、李徴自身が言葉にしたものだといえます。

本文の言葉づかいにも注目してみましょう。「進んで師に就いたり、求めて詩友と交って」とあるように、李徴に欠けていたのは、自分から進んで、求めて人の中に入っていく行動でした。いっぽう「俗物」に対する見方は、物語の冒頭から一貫しています。官を退いたときの李徴は、「下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした」と書かれていました。俗なものを見下す気持ちと、詩人として認められたい気持ちが、最初から李徴の中で強く結びついていたことがわかります。

珠と瓦、猛獣使のたとえとは?

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のすぐあとには、2つの印象的なたとえが続きます。「珠と瓦」と「猛獣使」です。この2つを読むと、言葉の意味がよりはっきり見えてきます。

珠に非ざることを惧れる

2つの心を言いかえたのが、次の一文です。

「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」

ここでは、才能のある人を「珠」(宝石)に、平凡な人を「瓦」にたとえています。前半は「自分が珠ではないことを恐れたから、苦労して磨こうとはしなかった」、後半は「自分が珠であるはずだと半分信じていたから、平凡な人として瓦の中にまじることもできなかった」という意味です。

「碌碌(ろくろく)」は、『デジタル大辞泉』では「平凡で役に立たないさま。たいした事もできないさま」と説明されています。平凡な人として目立たずに生きることを、李徴は受け入れられなかったわけです。

この一文は、前半と後半がきれいな対になっています。「惧れる」と「信ずる」、「磨こうともせず」と「伍することも出来なかった」が向かい合い、恐れと自信の両方が、李徴を動けなくしていたことがわかります。特に「半ば信ずる」という言い方には、完全には信じきれない自信の危うさがあらわれているといえそうです。

珠を磨くというたとえは、さきほどの「切磋琢磨」とも重なっています。「琢磨」はもともと玉や石を打ち磨く意味なので、師や詩友と競い合うことを避けた李徴は、文字どおり自分という珠を磨かなかったことになるのです。

告白の後半で、李徴は「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ」とも語っています。才能が足りないことよりも、磨かなかったことのほうを悔やんでいる言葉です。珠と瓦のたとえは、この後悔へとつながっていきます。

虎になったあとも、李徴は自分が「珠」であるという思いを手放しきれていません。即席の詩を詠む前に、李徴は「羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ」と語っています。そして「嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を」と続けました。珠でありたいと願う気持ちと、それを恥じる気持ちが、虎の姿になってもなお続いている場面です。

人は誰でも猛獣使という言葉

続いて李徴は、もう一つのたとえを語ります。

「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

人は誰でも自分の中に猛獣を飼っていて、その猛獣とは一人ひとりの性質のことだ、というたとえです。人はその猛獣を上手に使いこなさなければならないのに、李徴の場合は、尊大な羞恥心という猛獣を使いこなせなかったと語っています。

そして李徴は、「虎だったのだ」と言い切ります。物語の中で李徴が虎の姿になっていることと、心の中の猛獣が「尊大な羞恥心」だったことが、ここで重なるのです。続けて、「これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ」とも語られます。

「内心にふさわしいもの」という言葉からは、心の中がすでに虎のようだったから、外見も虎になってしまったという読み方ができます。外見が変わったのではなく、心の形が外にあらわれた、という受け止め方でしょう。

ここで、「臆病な自尊心」ではなく「尊大な羞恥心」のほうが猛獣とされている点も気になるところです。人から見えていたのは尊大な態度でしたから、まわりの人を遠ざけ、妻子や友人を傷つけたのは、外にあらわれたこの心だった、と考えることもできます。ただ、本文ではその理由までは説明されていないので、読む人によって受け止め方が分かれる部分だといえるでしょう。

「誰でも猛獣使」という言葉は、李徴だけの話ではなく、読む人にも向けられているようにも感じられます。自分の中の猛獣が何なのかを考えるきっかけとして、この一節が心に残る人も多いのかもしれません。

この「猛獣」が李徴を飲み込んでいく怖さは、物語の前半ですでに語られていました。李徴は、一日のうち人間の心が戻る時間が、日を追うごとに短くなっていると打ち明けています。「今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように」。さらに、人間の心が消えてしまえばそのほうが幸せかもしれないのに、「己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じている」とも語られます。猛獣を使いこなせなかった結果が、ここまで深い恐れにつながっているのです。

李徴はなぜ虎になったと語る?

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、李徴が「なぜ自分は虎になったのか」を考える中で出てきた言葉です。ここでは、李徴自身の後悔の言葉と、作品のもとになった物語との違いから、虎になった理由を見ていきましょう。

才能を空費したという悔い

猛獣使のたとえのあと、李徴は自分の人生をふり返って、深い後悔を語ります。

「今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」という言葉は、それだけで名言として紹介されることもあります。ただ、本文の中では、李徴がかつて口先だけでもてあそんでいた「警句」として出てくる点に気をつけたいところです。李徴はこの言葉を言いながら、実際には何もしてこなかった自分を責めています。

ここで李徴は、自分の本当の姿を「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰」と言い表しました。「臆病な自尊心」を、さらに飾らない言葉で言いかえたものだと読めるでしょう。

続けて李徴は、自分より才能の乏しい人でも、専一に磨いたことで立派な詩人になった者がいくらでもいると語り、「虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる」と打ち明けます。気づいたときには、もう人間として生活することはできなくなっていた、という悲しみです。

この悲しみを誰にも分かってもらえないことも、李徴は語ります。山の頂で空っぽの谷に向かって吼えても、獣たちはただ恐れてひれ伏すばかりで、「ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように」と重ねています。そして告白は、「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない」という一文で閉じられるのです。

なお、このあと李徴は妻子のことを頼み、そのあとで、本当は妻子のことを先に頼むべきだった、妻子より自分の乏しい詩業を気にかけるような男だから獣に身を堕すのだ、と自分を責めています。告白で語った心の性質が、頼みごとの順番にもあらわれていると読むこともできるでしょう。

後悔は、これからのことへの絶望にもつながっています。李徴は「たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は?」と語りました。物語の最後、李徴は袁傪に、帰り道にはこの道を通らないでほしいと頼み、丘の上から振り返って自分の姿を見てほしいと告げます。袁傪の一行が振り返ると、虎が躍り出て、白く光を失った月を仰いで二声三声咆哮し、二度と姿を見せませんでした。

人虎伝とちがう変身の理由

『山月記』には、もとになった物語があります。ウィキペディアの「山月記」の項目によると、唐の時代の伝奇小説「人虎伝」が下敷きになっています。

同じ項目では、文芸評論家の瀬沼茂樹による新潮文庫の解説をもとに、2つの物語の違いが紹介されていました。「人虎伝」では、李徴は寡婦との逢瀬をある一家に妨げられ、その一家を焼き殺した因果応報で虎になったとされています。これに対して中島敦は、変身の理由を李徴の内側に求め、芸術家の内面を告白するように描いた、という説明です。

つまり、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という心の告白は、もとの物語にはない、中島敦による大きな書きかえだといえます。罪の報いとして虎になる話を、自分の心の性質によって虎になる話へと変えたところに、『山月記』の独自さがあるのでしょう。

ただし、李徴の告白をそのまま「虎になった本当の理由」と受け取ってよいかについては、いろいろな読み方があります。ウィキペディアでは、李徴の語りを「自己劇化」された語りだとする研究者の解釈や、挫折の嘆きの中にナルシシズムを含めたリアルな人間像が描かれているとする解釈も紹介されていました。李徴自身も「考えように依れば」と前置きしてから話し始めていて、断定はしていません。

作品は1942年(昭和17年)、『文學界』2月号に、「文字禍」とともに「古譚」の題でまとめて載せられた、中島敦のデビュー作です。ウィキペディアによると、当時パラオに赴任していた中島が深田久弥に預けていた原稿が、深田の推薦で掲載されたそうです。中島はその年の12月に、持病の喘息の悪化で亡くなりました。

青空文庫の作家紹介でも、類まれな才知の早世が惜しまれたと書かれています。教科書にもたびたび採り上げられてきた作品なので、大人になってからもう一度読むと、李徴の告白がまた違って感じられるかもしれません。

ウィキペディアでは、瀬沼茂樹の見方として、「人虎伝」から中島独自の作品になった背景には、中島の変身譚への好みがあるとも紹介されていました。中島が愛読していたカフカの『窖(あなぐら)』や、ガーネットの『狐になった奥様』などが例として挙げられています。もとの物語をそのまま訳したのではなく、作者自身が親しんできた作品の影響も受けながら、新しい物語として書き直されたことがうかがえるのではないでしょうか。

現代の暮らしでどう受け止める?

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、作品を離れて、日々の気持ちを表す言葉としても使われています。最後に、いまこの言葉がどう使われているのかと、使うときに気をつけたいことを考えてみましょう。

自嘲の言葉として使われることも

なかには、「臆病な自尊心」という言葉がずっと気になっている、という投稿もありました(Xの投稿)。働くことがこわいと感じた気持ちと、この言葉を重ねて考えている内容です。

こうした使い方は、李徴の告白の性質とも重なっています。李徴の言葉は、もともと他人を批判するためのものではなく、自分自身をふり返るための告白でした。袁傪が「昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら」話を聞いていたと書かれているように、李徴には自分を嘲る癖があったことも、本文から読み取れます。

本文に照らしてみると、この言葉は「自分には才能があると思いたい」「でも試されて足りないとわかるのが怖い」という2つの気持ちが同時にある状態を表していました。新しいことに挑戦するのをためらうとき、人から教わるのが気恥ずかしいとき、その理由をこの言葉に当てはめて考えてみる人がいるのも、うなずけるところです。

一方で、李徴の告白には、気づいたときにはもう遅かったという悲しみも込められています。「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいる」という言葉は、裏を返せば、才能の多い少ないよりも、磨き続けることのほうが大切だという気づきでもあるでしょう。この言葉を自分に向けるときは、そこまであわせて受け止めると、ただの自嘲で終わらずにすむのかもしれません。

作品の中で、李徴が袁傪に頼んだのは、自分の詩を書き取って後の世に伝えることでした。誰かに読んでもらうために、ようやく自分の作品を人の前に差し出したともいえる場面です。その姿を思い浮かべながら、この言葉を読み返してみるのもよいでしょう。

X(旧Twitter)の投稿には、「臆病な自尊心を捨てましょう」と呼びかけるものもありました(Xの投稿)。ただ、本文の「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという」という一節に沿って考えると、性質は捨てるものというより、使いこなすものとして語られています。誰の中にも猛獣のような性質はあり、それをどう扱うかが問われている、という読み方もできるでしょう。自分の中にこの心を見つけたときに、無理に消そうとするのではなく、向き合い方を考える手がかりにしてみるのもひとつの方法です。

人に向けて使うときの注意

この言葉は、李徴が「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」と続けるように、自分自身の欠点として語ったものです(青空文庫『山月記』)。それでも響きが鋭いため、人を評する言い方に使いたくなる場面もあるかもしれません。

ただ、ここまで見てきたように、この言葉はもともと、虎になった李徴が自分の過去をふり返って口にした告白です。外から見えていたのは「倨傲」「尊大」という態度だけで、その奥にある羞恥心を「人々は知らなかった」と李徴は語っていました。心の中は、外からは見えにくいものだというのが、この場面の大事な点でもあります。

そう考えると、他人に向けて「あなたは臆病な自尊心の持ち主だ」と言ってしまうのは、本文の流れとは少しずれた使い方になりそうです。相手の心の奥を決めつける言い方にもなりかねないので、使う場面には気をつけたいところでしょう。

また、作品の中で李徴の性質は「妻子を苦しめ、友人を傷つけ」たと語られており、決して軽い話ではありません。この言葉を誰かを笑う道具にするよりも、自分の心をふり返る言葉として大切に扱うほうが、作品の重みにも合っているように感じられます。

文章の中でこの言葉を引用するときは、「中島敦『山月記』より」のように作品名を添えておくと、読む人にも出どころが伝わりやすくなるはずです。教科書や文庫によって表記が違う場合もあるため、引用するときは、自分が読んだ本の表記に合わせておくと安心できます。

そして、この言葉の意味をきちんと知りたいときは、一文だけを取り出すのではなく、前後の告白までまとめて読むのがおすすめです。「珠と瓦」「猛獣使」、そして「才能を空費した」という悔いまで続けて読むと、この言葉が単なる悪口ではなく、ひとりの人の深い後悔から生まれた言葉だということが伝わってくるでしょう。

作品の中で、李徴の告白を聞いた袁傪の態度も参考になります。袁傪は李徴を責めたり、言い返したりはしていません。李徴の自嘲を「哀しく聞いていた」と書かれ、妻子のことを頼まれると「涙を泛べ、欣んで李徴の意に副いたい旨を答えた」とあります。自分を責める言葉を口にする人に対して、決めつけずに耳を傾ける姿は、この言葉を人との関係の中で扱うときのひとつのお手本といえるかもしれません。

まとめ

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「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、短い言葉の中に、李徴の複雑な心の動きが詰まった表現でした。この記事で読んできたポイントを、最後に振り返ってみましょう。

  1. 臆病な自尊心は、才能を試されて足りないとわかるのを恐れ、磨くことを避けた心として語られる
  2. 尊大な羞恥心は、平凡な人の中にまじることを恥じる気持ちが、外からは高ぶった態度に見えた心として語られる
  3. 言葉は、虎になった李徴が袁傪に詩を託したあと、自分の過去をふり返る告白の中で出てくる
  4. 珠と瓦、猛獣使のたとえを続けて読むと、尊大な羞恥心が李徴の中の「虎」だったという流れが見えてくる
  5. もとになった「人虎伝」とは変身の理由が違い、告白をどう受け止めるかには、いくつもの読み方がある

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人間関係や日々の気持ちを見つめ直すための言葉と考え方を取り上げる編集室です。言葉を引用するときは、出典を確かめて紹介します。

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