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やっと悩みが解決した。
これでもう、気にしなくていいはず。そう思ったのに、周りの反応が前より気になるとしたら?
芥川龍之介の『鼻』では、長い鼻をずっと気にしていた僧侶が、鼻を短くすることに成功します。本人は晴れ晴れする。ところが、その後、周囲の笑いはなくなるどころか、前よりあからさまになるんです。
ちょっと待って、そこは一緒に喜んでくれるところじゃないの?
読む側も、ここで立ち止まりたくなる。物語に出てくる「傍観者の利己主義」という言葉は、この食い違いを考える場所に置かれています。
今回は、青空文庫で公開されている『鼻』の本文を、始めから結末まで読んでいきます。結末にも触れます。言葉の意味を探している人も、先に登場人物が何を期待し、どこで困ったかを追ってみよう。市販本の読書候補には、新潮文庫『羅生門・鼻』を紹介します。
内供は、長い鼻だけでなく、気にしていると知られることにも困っている
主人公は禅智内供という、五十歳を越えた僧侶です。鼻は上唇から顎の下まで長く下がり、その地域で知らない人がいないほど。本人は昔から気にしているけれど、表向きは気にしていない顔をしています。
ここ、悩みを一つ隠しているだけでも、ずいぶん忙しいよね。
鼻が気になる。でも、その気持ちを人に知られたくない。会話で鼻の話題が出ることまで恐れている。本人の中では、形の問題と、人にどう見られるかの問題が同時に続いています。
実際の不便もあります。食事のときには弟子に板で鼻を持ち上げてもらわなければ、先が器へ入ってしまう。手伝う側にも手伝われる側にも、簡単なことではありません。あるとき鼻が粥へ落ちた話は、離れた場所まで広まります。
ただ、本文は不便だけを、悩みの中心にはしていない。内供は、その鼻によって傷つく自尊心にも苦しんでいると語られています。食事がしにくいから短くしたい、という一つの理由だけでは、その後の反応までは追えなくなるんです。
内供は、一人のときに鏡で角度を変え、短く見える方法を探します。手を顔へ添えても満足できない。ほかの人の鼻を見て、自分と似た人がいないかを探すこともあります。同じ鼻の人が一人でもいれば安心できると思うけれど、見つからない。
さらに、経典やほかの本の人物に、自分と同じような鼻の人を探そうとします。耳の長い人物の話を聞いて、もし鼻の話だったらと考える。形を変える方法だけでなく、同じ人がいるという支えまで欲しくなっているんだね。
この順番を読むと、主人公を自尊心が高い人と一言で閉じたくなくなります。困っていることがあり、知られたくない思いもあり、安心できる相手を探してもいる。本文の中で、どうにか自分の悩みを扱おうとしている人として見ると、後の喜びの大きさが伝わります。
私はまず、食事の不便を描くところと、鏡や他人の鼻を見るところを分けて読みます。前者は日々の動作、後者は自分の見られ方。鼻の長さに同じ話題が集まっていても、本人がそこで求めているものは少しずつ違うからです。
新潮社の『羅生門・鼻』の紹介では、この『鼻』を収録していることを確認できます。下の検索はISBN9784101025018を指定しています。物語の途中を一緒に読むための本として、候補を見てみてね。
短くしたいのに、勧められるのを待つ。そのやり取りも面白い
ある年の秋、弟子が京都で鼻を短くする方法を教わって帰ってきます。内供にとっては、ずっと欲しかった情報です。でも、聞いた途端に今すぐ試そうとは言わない。
えっ、そこで待つの?
と思うけれど、最初の気持ちを覚えているとつながります。自分が鼻を気にしていると知られたくない。そこで、食事のたびに弟子へ手間をかけるのが気の毒だという話をし、弟子の方から勧めてくれるのを待つんです。
弟子も、その考えに気づかないわけではありません。本文では内供の気持ちに同情したのだろうと語られ、弟子は方法を試すよう熱心に勧めます。結果として、内供はその勧めに従う形で、望んでいたことを始めます。
口に出す理由と、本人が待っていることが少しずれている。
でも、それを分かった弟子が付き合ってくれる。そのやり取りには、体面を保ちたい人と、その気持ちを受け取る人の関わりが描かれています。
物語では、その方法によって鼻が短くなります。ただし、本文の加熱や踏むなどの行為は小説の中の描写です。現実の体を変える方法として試す内容には受け取らないでください。ここでは、処置の手順ではなく、受ける前後の内供の気持ちを追います。
弟子の親切は分かっていても、自分の鼻が物のように扱われることを内供は不快に思います。望んだ結果へ近づいているから、途中の気持ちは全部うれしい、という場面にはなっていないんだね。親切を理解することと、その扱いを快く感じることも別に描かれています。
短くなった鼻を鏡で見ると、内供は満足します。もう誰にも笑われないと考える。その日は、また長くなっていないかを繰り返し確かめるけれど、翌朝も短いままだと知ると、久しぶりに晴れ晴れした気分になります。
ここまで読んだら、少し息がつける。
昔から気にしていたことが変わり、望んだ形になった。まず、本人が喜んだ時間がちゃんとあることを見ておこう。後から笑われる場面を知っていても、その喜びまで最初から失敗として扱う必要はありません。
読み直すときは、方法を聞いた直後の態度と、鏡を見た後の態度を並べてみよう。ほかの人の前では平気な顔をしたい一方で、自分では確かめずにいられない。その揺れが、長い説明だけでなく、言い方や手を伸ばす動きに出ています。
傍観者の利己主義は、解決した人を前にする周囲の説明として出てくる
ところが二、三日たつと、内供は気づきます。
訪ねてきた人が、前よりおかしそうに鼻を見ている。すれ違った童子が吹き出す。ほかの者も、内供が後ろを向くと笑う。
あれ、短くなったのに。
本人はもう笑われないと思ったのに、周囲は前より遠慮がなくなる。その期待との違いを、内供はどう説明したらいいか分からないんです。
顔が変わったので、見慣れないのだろうか。そうも考えるけれど、それだけでは納得できない。長かったころにも笑いはあった。でも、今は笑われ方の様子が違う。困っているのは、笑いが何回あったかだけでなく、その向け方が変わったことです。
そこで、語りが人間の心にある二つの感情を説明します。他人の不幸には同情する。ところが相手がその不幸から抜け出すと、今度は何となく物足りなくなり、相手へ敵意を持つことさえある。その流れが、物語の「傍観者の利己主義」という言葉へつながります。
ここでいう利己主義は、困っている本人が自分のために鼻を短くした、という説明ではありません。相手の悩みに同情していた周囲が、その悩みの解決を素直に喜べないという場面を読む言葉なんだね。誰を説明しているかを押さえると、題材の中心へ戻りやすくなります。
内供自身には、その理由がはっきり分からない。でも、態度の違いから何か不快なものを感じている。読者には語りの説明が渡され、内供には違和感が残る。本人と読者で知っていることが違うので、説明を読んだ後も、本人の困り方を追えるんです。
この一節を、世の中の全員の本音がこうだという心理学の証明として扱うと、読み物の範囲を越えてしまいます。今回は小説の語りが示す説明として読みます。実際の友人が笑った理由を、芥川の一語で決めるための検査ではありません。
私には、同情が本当に相手のためになっていたかを考える入口にも見えます。相手が困らなくなったら、自分の関わる役割が変わる。その変化を、相手への喜びとして受け取れるか。これは本文から自分が連想した問いで、登場人物全員の内心を新しく決め足す説明ではありません。
物語の言葉を確かめたいなら、笑われ方が変わる場面から、語りの説明まで続けて読んでみてね。一語を先に覚えるより、その言葉が必要になった食い違いを読んだ方が、何を指しているかが見えます。
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元の鼻に戻ったら、また安心する。結末の言葉を並べてみよう
周囲に笑われ、内供は日々、機嫌が悪くなります。人をきつく叱り、弟子まで陰口を言うようになる。鼻を短くすることで、周りとの関係が全部よくなる流れにはなりません。
童子が、かつて鼻を持ち上げていた板で犬を追い回し、鼻のことを囃す場面もあります。内供は板を取り上げて童子を打つ。本人が傷ついたことを読んでも、この行為までよいものとして勧める必要はないよね。人との関わりが荒れていくところも、本文には置かれています。
その後の夜、内供は鼻に異変を感じます。そして翌朝、鼻が元のように長くなっていると知る。ずっと短くしたかったはずなのに、そこで晴れ晴れした気持ちが戻ってくるんです。
ええ、戻ったらうれしいの?
と思ったら、短くした直後の内供を思い出そう。鼻を短くして喜んだのは、その形だけでなく、もう誰にも笑われないと思ったからでした。
最後、長い鼻に戻った内供も、やはり笑われなくなると考えます。短い鼻を見たときと、長い鼻に戻ったときで、同じ方向の期待が繰り返される。その二か所を並べると、鼻の長さだけが安心の条件だったのか、という問いが残ります。
本文は、元に戻った後、周囲が本当に笑わなくなったかを確かめるところまでは描いていません。内供がそう思ったところで結ばれます。だから、長い鼻なら誰も笑わないと証明された結末、とまとめないでね。本人の期待と、その後の現実が一致したかは、そこでは分からない。
私はこの終わり方が気になります。変わったから安心した人が、戻ったからまた安心する。どちらも本人には本当の喜びなのに、読者は前の期待が外れたことをもう知っている。そのため、最後の安心にも少し揺れが残るんです。
見た目を受け入れることが大切だという教訓を先に置く読み方も考えられるけれど、本文へ戻るなら、内供が最後に何を理由に喜んだかを確認しておきたい。自分だけで納得したから、という説明を足す前に、笑われないという期待がある。
二度出てくる安心の言葉に目印を付け、その間に何が起きたかを読む。それだけでも、一度読んだ話をもう一度たどる入口になります。解決したはずなのに悩みが動いた。その動きが、最後の鼻の長さと一緒に残っています。
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読後の一言は、誰かを判定する前に自分の反応へ使ってみる
読んで、あの人もそうだ、と誰かの顔が浮かぶことはあるかもしれない。
でも、この小説を友人や同僚へそのまま貼り付けて、あなたは傍観者の利己主義だと告げる前に、自分がどの場面に引っかかったかを残してみよう。
短くなって喜んだところだったか。周囲の笑いが変わったところだったか。元に戻って安心したところだったか。どこで気持ちが動いたかが分かると、名言として覚えた一語から、物語の中へ戻れます。
もし暮らしへつなげたいなら、誰かが悩みを解決したと聞いたとき、自分は何を言いたくなるだろう、と自分の反応を考える方法があります。相手の話を聞く前に変わった部分を話題にしようとしていないか、本人が何を喜んでいるかを聞けるか。これは読書からの提案で、心の状態を診断するものではありません。
見た目の変化も、本人から話したい場合と、周囲から触れられたくない場合があるよね。物語を読んだから必ず褒めるという一つの行動へ決めず、相手が話す内容を聞く。名言を口にするより、相手が何を伝えようとしているかへ戻る時間を持てます。
本を買う場合、新潮文庫『羅生門・鼻』は芥川龍之介の作品集です。新潮社の書誌ではISBN9784101025018。題名にある『鼻』のほか、別の作品も収録する本なので、読むときはその中の『鼻』を探してね。
青空文庫の図書カードに示される底本は、ちくま文庫『芥川龍之介全集1』です。この記事の読解は、その公開本文を使っています。購入候補の新潮文庫と同じ頁番号だと案内するものではないので、作品名を目印にしてください。
楽天市場では、このISBNで著者と出版社を確認し、新品か中古か、紙か別の形態か、送料を含む条件などを注文先で見ます。この記事で読んだのは公開された物語の本文です。市販本の注釈の形式や読みやすさを知りたい場合は、出版社の試し読みや、店頭で確認できる範囲も見てください。
次に『鼻』を開くなら、鏡を見る内供から始めてもいいし、二度の安心を探してもいい。短くなったらうれしい、長く戻ってもうれしい。その間にある周囲の笑いをもう一度読むと、初めは可笑しかった話に、別の手触りが出てくるかもしれません。
言葉を覚えたところから、人物のそばへ戻ってみよう。
内供は何を隠したくて、何を期待していたんだろう。その一つが気になったら、もう十分、読み直す入口になっています。
出典:青空文庫『鼻』芥川龍之介、同作品の図書カード、新潮社『羅生門・鼻』書誌。安心の繰り返しや読後の問いは、本文を踏まえたこの記事の解釈・提案です。